エッセイ

うつ病患者の根底にある感情は行き場のない憎悪である。

投稿日:2021/04/27 更新日:

とある人より「うつ病患者の体験談を書いてくれ」という依頼を受けたため、気乗りはしませんが記事を書きました。

この記事は、うつ病についての理解を深めるようなものではなく、学術的な論拠に基づいて作られたものでもありません。単に、一人のうつ病患者のむき出しの独白をつづったものでございます。

その点をご理解の上ご覧ください。

 

うつ病患者とそうでない人は分かり合えない

うつ病患者の本音は次の一言に尽きる。

 

「誰か助けてくれ」

 

しかしながら、おおよその場合、この陳腐な願いがかなえられることはない。

うつ病患者は患者となるとっくの前にうつ病を患っている。ただ、それを表に出さない希少の持ち主なのだ。

10年も20年も自分自身の怒りや憎しみを封じ込めていれば、それは病気にもなる。うつ病と診断されるのは、単に社会的に病気状態になったと認められたにすぎない。

誰にも苦しみを打ち明けられないまま、苦痛だけが浄化されずに延々と体内を駆け巡ることになる。やがて痛みがマヒして、感情が表に出なくなり、常日頃能面のような表情になってくる。

代謝と言う言葉があるが、体に入ってきたものは、何かしらの臓器によって処理され、体外へと排出されていく。うつ病患者の苦しみは、代謝されることがない。代謝されない苦しみがどこへ向かうかというと、最終的には脳に向かう。

「なぜ俺がこんな目にあわねばならないのだ」

「悪いのは俺ではない、奴らが俺にばかり苦しみを押し付けるからだ」

処理しきれない苦しみは憎しみとなり、こうして脳を殺しにかかる。

SOSが唱えられた時点で、すでに彼らは限界をとっくに超えた状態だからである。でなければ、病気になるまでうつ状態を引きずったりしない。うつ病になる魂を持っている時点で、彼らはうつ病になる定めに置かれているのである。

うつ病は、大抵の場合、患者自身から健常者へと告げられる。少なくとも私の場合はそうであった。しかし、うつ病を告白された周囲の人間からすると、これは青天の霹靂である。うつ病患者は、自分の魂を殺して通常の(それもごくごく健全な精神と規範的な生活を送る)人間として振る舞っているため、はたから見ると健常者そのものである。このため、うつ病が発覚した患者は、周りの人々からすると、急におかしくなったと認識されてしまう。これが大きな間違いだ。患者自身は、すっかり昔からうつに苦しんできているというのに、周りの人間からすると、急に怒りっぽくなったり、沈んで見せたり、アルコールにおぼれているように見える。

患者自身は、何十年もの昔から苦しんできたのに、病気を打ち明けられた人間は、たった今病気になったように思っている。場合によっては「病気になったばかりだから深刻化する前に治そうよ」くらいにしかとらえていないが、患者は深刻化の極致でこらえきれなくなったからこそ、病状を訴えているのだ。この温度差こそが、うつ病患者と周りの人間を隔てる大いなる壁である。両者には超えられない溝があり、永遠に分かり合えることはない。

うつ病患者は永遠に孤独であり、孤独はうつを呼び込む

うつ病最大の病原は「孤独」という名の病魔である。

皮肉なことであるが、うつ病患者が絶望するのは、彼らがもっとも親しいと思っている人々からの「裏切り」によるものである。より正確に言えば「親愛なる人々から裏切られたと思う感情」が、うつ病患者の魂を殺すのだ。彼らは裏切っていない。無自覚にうつ病患者の期待を蹴りつけているだけだ。単に、患者にとってもっとも理解してほしい者の無理解が、うつ病を不治の病とするのである。

うつ病患者は、勝手に裏切られたと思っており、周りの人間はさほど頓着もない。この温度感が曲者である。

分かり合えないのは罪ではない。

しかし、私は彼らを永遠に許さない。

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