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【20190809クアラルンプール】朝焼けのホームで。

投稿日:2019/09/20 更新日:

1.旅人は道を間違える生き物だ

2019年の8月、朝6時台。あたりはまだ薄暗い。私はKLセントラルを目指すバスに揺られていた。マレーシアの朝は、東京よりも涼しく感じた。人口密度が低いせいだろうか。赤道付近の国なので、昼間はもちろん灼熱だが、通勤客でごった返す、首都圏の駅構内よりは、はるかに過ごしやすい。

私が今向かっている、KLセントラルとは「クアラルンプールセントラル」の略で、クアラルンプールの交通要所となるターミナルの名前だ。ここでは、空港からのバスはもちろんのこと、地方へと向かう電車や空港バスに、空港鉄道など、様々な乗り物が集まってきている。陸路で国境を目指すこともできるので、たいへん便利だ。

このとき私は、クアラルンプール国際空港、通称KLIAからのバスに乗ったのだが、これは、はなはだ不本意な乗車であることを、記録しておかなくてはならない。そうでなければ、いつの日か、同じような間違いをおかすことが、容易に想像できるからだ。

私の目的地は、TBSと呼ばれる、クアラルンプール随一の広域バスターミナルであった。ここには、マレーシア各地へと走るバスが集まり、数十のバス会社が乗り入れているとか。タイやシンガポールなど、地続きの隣国に行くバスが走っているなど、島国日本の常識が通用しない部分があり、旅を愛するものとしては、この上なくワクワクするスポットでもある。

察しのいい読者ならお気づきかもしれないが、私が今の状況を間違いだと語ったのは、本来ならTBSへと行かなくてはならないところを、誤ってKLセントラル行きのバスに飛び乗ってしまったからである。チケットブースのマダムに、乗車券の変更をにこやかに交渉したところ、にべもなく断られたことを、今でも思い出す。両地点は、そこまで深刻に離れているわけではないが、異国で直行と乗換ありとでは、心身にかかる負担が相当違ってくるものだ。とりわけ、旅慣れていない人にとっては、ダメージが大きいだろう。


クアラルンプール国際空港のバスターミナル。TBSほどではないが、ここからも各地へとバスが出ている。

そんなわけで、私は代替ルートについて考えていた。違うバスに乗ってはみたものの、なにもあさっての方向に行くわけではない。取り返しはじゅうぶんつくはずだ。何より、旅人は道を間違える生き物である。知らないところを旅しているのだから、当然だ。オンタイムで目的地に着くだけなら、普段の仕事と変わらない。予定に旅路を縛られてしまっては、本末転倒ではないだろうか。せっかく、スケジュールから解放されて、夏休みを過ごしているのだから。

マレーシアの高速バスは、体躯の大きい民族の利用を想定しているからか、幅広で快適だ。後日、神奈川で高速バスに乗ってびっくりしたのだが、座席幅がとにかく狭く、足もろくに伸ばせない。都心の渋滞はひどく、便も少ないため、およそ旅行者向けではなかった。その点、マレーシアのリムジンバスは一味違う。ゆったりとした席幅に、めいっぱい伸ばせる足元、フットレストにレッグレストがついており、値段以上の乗り心地を得られる。トイレがないのはマイナスだが、トイレのスペース分の快適さと交換していると考えれば、悪い話ではないだろう。

深夜から早朝にかけてのフライトであったため、まだまだ寝足りなかった。アラブ系運転手の流すラジオ番組から、エキゾチックなナンバーがあふれてくる。そのうち私はまどろみに落ちていた。

2.ここじゃないどこかへ

KLIAからKLセントラルまでは、高速バスでちょうど1時間程度の距離だ。電車のターミナルが上層階にあり、地階は空港バスの発着地点となっている。これまで数回訪れたことはあったが、どこか他の地方へと向かうバスは見たことがなかった。バスから降りると、毎度排気ガスの臭いが鼻を衝く。普段なら、ここから歩いて、ブリックフィールドというインド人街を目指すのだが、今回はクアラルンプール観光ではないので、上の階へと向かった。TBSへのアクセスには、空港鉄道を選んだ。つまり、来た道を少し戻ることになる。

クアラルンプールと空港を結ぶ鉄道は、KLIAエクスプレスという直通電車と、KLIAトランジットという各駅停車にわかれているが、路線を共有しており、運賃もほぼ同じだ。切符も無人のキオスクで購入でき、クレジットカードまで使えるため、外国人にとっては至れり尽くせりである。しかし、特急と各駅では、別々の改札口に分かれているのには注意が必要だ。ここでKLIAエクスプレスに乗ると、空港まで逆戻りしてしまうので、私はKLIAトランジット側の改札の前にいた。午前8時前後だったはずだが、大勢の乗客が改札から出てきたのを覚えている。通勤客だろうか?そうだとしたら、どこの国も、朝の風景は似たようなものだな、などと思った。


KLIAトランジットのキオスク。TBSはBandar Tasik Selatan駅に隣接している。

KLIAトランジットは、マレーシアの鉄道の中でも、とりわけよく働く列車であり、朝と昼のピーク時には、15分間隔で運行している。運行区間はKLセントラルと空港間だが、その間にローカルタウンを挟んでいるため、純粋に通勤手段としての側面も持っているのだろう。

さて、広域バスターミナルであるTBSは、KLセントラルから、空港側へと、わずか一駅進んだ場所にある。乗車時間にして、ものの5分程度だったはずだ。空港鉄道は、エアコンにモニター完備の最新式だったが、快適さを楽しむまでもなく、目的地に到着してしまった。電車を降りると、橙色の朝日が煌々と輝いていた。人工的な涼しさに代わって、南国の柔らかな風が、優しく肌をかすめた。マレーシアの朝は、日本よりも遅く訪れる。これは、時間や気持ちの問題ではなくて、赤道付近の国特有の現象らしい。なんでも、緯度が赤道に近づくにつれて、年中似たような日照サイクルになるのだとか。同じ地球上でも、物理現象の異なる様を目の当たりにすると、ずいぶん遠くに来たのだな、と感じる。


TBS真ん前の駅と朝焼け。マレーシアの朝は日本の夏よりも快適。

駅の連絡橋から、少し目線を移すと、バスターミナルが目に入った。何台かのバスが吸い込まれていったのを見ると、あれがTBSだろう。それにしても巨大である。バスターミナルというよりは、野球用のドームのようだ。大型バスが何百とひしめき合うのなら、それも自然なことなのだろう。これなら、マレーシア中に旅ができるというのも納得だ。

朝も早かったが、ターミナルに入るまで、大勢の人とすれ違った。皆、バスの発車を待っているのだろうか。マレーシアは、人種のるつぼと呼ばれるだけあって、多種多様な種族を見ることができる。土地柄か、西欧出身の人や、東アジア系の人種は少ないように見えた。日本人らしき人はいない。私はこの、日本人がいない環境が好きだ。日本人が嫌いなわけではない。ただ、彼らの話す言葉を聞くと、意味がわかってしまうことが嫌なのだ。言葉は、意味を解した瞬間言葉となり、人を苛むことが、多々あるからだ。その点、何語かわからない言葉は、聞いていて、なんとも思わない。意味がわからなければ、言葉も環境音にすぎないのだ。よくよく私は、私が異邦人であることを満喫するために、旅をしているのではないかと思う。

駅からバスターミナルまでは、ほぼ一本道だ。人が大勢いるほうに向かえば、ターミナル内部に着く。一歩入ると、そこはもはや空港のようであった。広い構内、ぎっしりとスケジュールの詰まった巨大な電光掲示板、カウンターにひしめく人々。ここにいるすべての人が、ここではないどこかへ旅立つのだと思うと、気が遠くなる思いだ。休暇中のひともいるだろうし、まだ知らないどこかをもとめて、外国へ向かう人もいるだろう。もしかすると、帰郷の時を待つ人もいるかもしれない。彼ら、彼女らの、一つ一つの思いが、広いターミナルに満ちているようで、どことなくいとおしい気持ちになった。


TBS内部のエスカレーターから撮影。旅人だらけでほとんど空港にしか見えない。

最近は、バスでもなんでも、オンラインでチケットを予約して決済までできる。つきなみだが、便利になったものだ。私が、はじめて訪れる場所で、のんきに散歩を楽しんでいられるのも、事前に乗車券を確保していたからである。

TBSには、多種多様なバス会社が乗り入れているのは、冒頭で述べたとおりだが、実際に構内に設置してあるインフォメーションパネルを見ると、バス会社の名前がずらりと軒を連ねている。まだまだ、アジアで旅をするには、バスが主流なのだと実感した。鉄道工事は長い期間と、莫大なコストがかかる。コストに見合うだけの見込み客がなければ、及び腰になるのも無理はないだろう。これまで、鉄道が旅のメインであると感じたのは、日本と中国くらいだ。東南アジアは、特にバス旅行が発達しているようである。

ターミナル内には、コンビニや旅行会社、食堂がたくさんあり、これから旅に出る人たちを支えてくれる。さながら一つの街のようだ。古今東西、旅人が集まる場所には、街ができるという。これは、現代となっても変わらないようだ。ローカルな空気の漂う食堂で、名前もよくわからない食事をとっていると、人間どこにいても、生きていくことに変わりはないのだと感じた。異国にいるからといって、食事をして、街を歩いて、屋根と壁のある場所で眠りにつくことに変わりはないのだ。特別なことではない。たとえ、私がこの街で独りだとしても。

バスの発車時刻が近づいてきたので、階下の出発ロビーへ向かうと、いよいよ空港の様子に近づいてきた。保安検査後の出発ゲートのような場所に、たくさんの椅子が並んでおり、たびたびマレー語らしきアナウンスが流れていた。私の目的地はペナンだった。4時間ほどかかるそうなので、近場の売店で、パンと飲み物を調達した。売店のマダムは、昔日本にいたそうで、一目で私が日本から来たとわかったようだ。わざわざ日本語で話しかけてくれたのは、彼女にとっても、日本が懐かしかったからだろうか。それとも、よほど日本人が珍しかったのかもしれない。実際、周りを見渡しても、日本語の「に」の字も聞こえてこない。東南アジアのバス旅行は、日本人にとっては、まだまだ心理的なハードルが高いようである。あるいは、単に需要がないだけか。

買い物を終えて、ゲート近くに行くと、すぐにバスがやってきた。どうやら私で最後らしい。乗り込むと、乗客はまばらだったが、ガラガラというわけでもなかった。地図を確認すると、ペナンははるか北西部にあるが、一本道のようだ。このまま、タイへの国境を目指すのもいいな、という思いが脳裏をかすめて消えていった。

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