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浜田省吾さんゆかりの江田島へ。図書館のベンチは一見の価値あり。(ファン向け)

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あらかじめ断っておきますが、この記事はミュージシャンである浜田省吾さんのファンが読むことを前提とした記事です。

普通の江田島観光については別記事を設けますので、そちらをご覧ください。

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もちろん、この記事から浜田省吾ファンになるのも大いによろしいかと思いますので、まだ聴いたことがないという方も、ぜひご覧になってください。

浜田省吾さんが小学校時代を過ごした江田島を散歩してきました

江田島は広島市の向かい側に浮かぶ島です。

広島港から定期便が出ており、もちろん人も住んでいます。

私が江田島へ行くことを決めたのは、浜田省吾さんが幼少期を過ごした地という単純な理由からでした、実際に行ってみたところ、貴重な経験ができました。

この記事では、観光地というより、浜田省吾ゆかりの地としての江田島について紹介します。

なお、広島から江田島への行き方については次の記事を参考にしてください。

省吾少年の足あとめぐり

江田島に着くと、大きな看板が出迎えてくれましたが、特に浜田省吾をウリに集客をしているわけではなさそうです。

果たして省吾少年ゆかりのスポットは見つかるのでしょうか?

※見出しのカッコ内は、スポットごとに私が独断と偏見で選んだBGMです。

宇品港(路地裏の少年)

今回の江田島旅行は、ほとんど思いつきだったこともあり、広島から江田島へ渡る直前まで、ほぼ情報なしの状態でした。

このような有様でしたので、広島港(宇品港)で江田島市の観光パンフレットと地図をいただけたのは幸いでした。

ご丁寧に「浜田省吾さんゆかりのベンチ」と書かれているではありませんか。

ここで地図をもらわなければ、遠く離れた中町港へ行ってしまうところでした。

券売機でチケットを買って、時刻表の看板を見ると、すでに船が行ってしまったようなので、しばらく波止場をぶらぶらしていました。

「陽のあたる場所」によると、省吾少年は小学4年生に上がる前の春休みに、広島市から江田島へと引っ越したそうです。

この船着き場で、元宇品小学校のクラスメイトが勢ぞろいして、省吾少年を見送ったのだなあ、と思うと感傷的な場所でもあります。

一方で、こんな笑い話もあるそうです。

笑い話もあるんだよね。船だから当然最終便があって、それに乗らないと帰れないじゃない。ある時、友人の家でロックのレコード聞いてて、パッと時計見ると、最終便に間に合わない。あわてて自転車かりて走って、港に着いたら、船がちょうど離れようとしてる寸前なんですよ。エイッて桟橋から船にとび降りたらカバンが重いから、そのまま飛び移れずに海に落ちちゃったんです。しまった、と思って船を見たら、遠ざかっていくはずの船が近づいてくるわけ。はさまれたら死ぬからね。船に乗ってた自衛隊の人とか飛び込んで船を必死で支えて引き上げてくれた。そうしたら、船は出て行くところじゃなくて入ってくるところだったんで、大笑いされて。びしょ濡れで江田島まで20分、笑われてましたね(笑)

田家秀樹,「陽のあたる場所浜田省吾ストーリー」,角川文庫,平成2年6月10日初版発行,64頁

省吾さんはライブで、よく自分自身の笑い話を披露してくださるので、このエピソードもどこかのライブで語られていたかもしれませんね。

小用港(Theme of father's son)

広島港から水上バスのような小舟に揺られて20分程度。

江田島の玄関口である小用港に着きました。

港と呼ぶより、小さな桟橋に待合所がくっついた程度のものですが、宇品港で聞いたところ、広島との定期便の往来はもっとも多いそうです。

小腹がすいていたので、先にどこかで昼食でも摂ろうと周辺地図のボード前でボケっとしていると、親切にも観光案内所の方が声をかけてくださいました。島の外からくる人間は珍しいのでしょうか?

ガイドブックでは牡蠣が有名だと書いてあったので、どこに行けばありつけるのか伺ったところ「海辺の新鮮市場」まで行けば食べられるとのことでした。気軽に歩いて行ける距離ではないようなので、素直にバスを待つことにしました。

実は、浜田省吾さんが小学生時代を過ごした島と知って訪ねてきたと告げると、「いいものがある」とのことで、なんと「幻のパンフレット」なるものを出してくださいました。

なんでも、地元の学生2人が、浜田省吾さんについて書かれた書籍や、関係者を取材して作った冊子だそうです。

かわいらしいイラストや漫画でクスリとさせてくれる一方、取材内容は本気そのもので、率直に非常に出来が良いと感じました。用紙の隅々までギッシリ書かれた文章から、製作者の愛を感じます。編集・発行:江田島音楽トークスタッフとのことですが、彼女らも浜田省吾ファンなのでしょうか?それともリサーチの過程でファンになったのでしょうか?

特にありがたかったのが「江田島ハマショーマップ」というコーナーで、江田島図書館(鷲部小学校跡地)周辺で省吾さんにゆかりのある撮影ポイントを、手書きの地図で記してくれています。まさに浜田省吾ファンのためのガイドブックです。

ツアーグッズとして、また、省吾さんが毎回ライブで身に着けている「初恋ペンダント」ですが、江田島をモチーフとしたものだったのですね。私、てっきり横浜じゃないかと思っていましたが、大外れです。

食い入るように江田島ハマショーマップを見つめていると、いつの間にかバスが待っていたので乗り込みました。

SuicaやManacaなど、全国区のICカードが使えるのは意外でした。

同じく地方都市でも、浜松なんかは使えないのですけどね。

江田島大柿線(家路)

今日のランチを目指してバスに揺られることおよそ20分。江南橋のバス停で降りる乗客は私一人でした。バスの座席はそこそこ埋まっていましたが、皆さん、地元の人だからか行き先が違うのでしょうか?

バスに乗りながら感じましたが、江田島は空が高いです。広島に比べて、建物自体がないので当たり前なのですが、自然豊かな島特有の澄んだ空気と、瀬戸内の穏やかな海が、空の青さをより引き立たせてくれているのかもしれません。

バスから降りて、近場の食事処で牡蠣フライ定食をいただいた後、元来た道を戻り、江田島図書館へ立ち寄ることにしました。

スタート地点は「樹齢400年のオリーブの樹」です。江田島はオリーブの栽培も盛んなようですね。

ちなみにオリーブの花言葉は「平和、安らぎ」だそうです。他にも花言葉はありますが、以前訪れた花屋の店員さんに「花言葉なんて、自分が好きだと思うものだけ選べばいいですよ!」と言われたのがきっかけで、以来、都合のいい花言葉だけを採用しています。

海岸線を北へ、北へ。気候こそ違いますが、グアムの海岸線を歩いて、チャモロ族の街へ向かったことを思い出しました。

晩秋の江田島は、しんと静まり返って旅人を迎えてくれました。走り去る車輪の音と波の音が、高い空に吸い込まれていきます。雲一つない空に一羽、鳶が飛んでいました。

この島は、人を迎え入れてからというもの、どれだけ変わらない季節を繰り返してきたのでしょう。ほんの1世紀前には、軍艦の造船所が稼働していたり、弾薬の保管庫に火薬が満載されていたとは、とても思えませんでした。

省吾少年が過ごした江田島と私が見ている江田島。ぴたりと重なり合うようでどこか違うような気がするのは、彼が江田島で過ごしたのが少年の時分で、今の私が大人だからでしょうか。

このまま、空と道の出会う場所まで歩いていけるような、そんな海岸通りでした。

江田島図書館(君と歩いた道)

さて、前述した小用港の下りから続きのお話です。

省吾少年は、広島から江田島へと引っ越してきた後、当時の鷲部小学校へと編入したそうです。

この省吾少年、当時(1960年代)からめっぽう変わり者だったそうで、転校初日からレモンイエローのド派手なセーターを着て登校しては、島の番長に呼び出しを食らったりしたそうです。それでも省吾少年自身、江田島での記憶が一番鮮明だったと述べているあたり、後には彼らと分かり合えたのでしょうか。

省吾少年の通った学校ということなら、ぜひとも校門だけでも…と思いきや、鷲部小学校はすでになく、跡地に江田島図書館が立っておりました。こちらが事実上、浜田省吾ファンの聖地です。

江田島図書館の見どころといえば、なんといっても中庭のベンチでしょう。図書館の司書さんに「浜田省吾のファンです」と伝えたところ、親切に案内してくださいました。

省吾さんは、メッセージ性の強い歌詞と裏腹に、ファンの間ではコミカルなキャラで通っています。

浜田省吾ファンクラブは、定期的に会報を発行しているのですが、1992年の会報発行時に江田島のバス停のベンチに腰掛けて、学校帰りの少年を見かけてつぶやいたのが「あのくらいだったんだろうね。……時間って不思議だね」というセリフ。

このベンチが、2012年の春に工事のため撤去されるとの話があったため、ファンの方が市とかけあって、ベンチと掲示板を譲り受けた後、今の江田島図書館の中庭に移設したそうです。

浜田省吾関連のスクラップや雑誌記事のコピーなどが、これでもかというほど張り付けられており、さながら浜田省吾ミュージアムと化しています。

また、単に省吾さんが座ったベンチということだけにとどまらず、浜田省吾ファンの交流の場所となっており、交換日記形式のノートがそばにぶら下がっていました。ノートは2012年から始まっており、2020年現在6冊目に突入しています。すべてに目を通すことはできませんでしたが、北は新潟から南は九州まで、ありとあらゆる年齢層のファンが書き込んでおり、読んでいるだけで時がたつのを忘れそうになりました。

彼らは、彼女らは、どのような気持ちでこの中庭を訪れて、この風景を眺めていたのだろうか?省吾少年は、どのように校庭を駆け回っていたのだろうか?そんな思いに応える声はなく、鳥の声と梢が揺れる音だけがしじまの中にこだましています。

しばし、ベンチで休憩タイム。柔らかい日差しに交じる風の冷たさに冬の始まりを感じます。ベンチの背中側は公民館で、子供たちの元気な声が響いてきます。

海風に肌寒さを感じて図書館に入ると、すぐ目の前にCDレンタルコーナーが。もちろん、浜田省吾特設コーナーがあります。

CDや書籍が置いてあることもさることながら「江田島のJ.BOY」なる人物による、貴重な貴重な資料集が展示されています。

省吾さんや島の方のプライベートに触れる部分もあるので、当サイトでの掲載は控えますが、ファンなら直接訪れる価値があります。

何があるのか、それはあなた自身の目と足で確かめてみてください。

宮内商店(初恋)

時は1960年代。

省吾さんの独白をもとにすると、正確には1962年でしょうか。

ついに省吾少年がビートルズと出会います。

「ステレオ持ってなかったけれど、レコードでは聞いてるんですよ。シングルで。友達に八百屋の女の子がいて、その子のお兄ちゃんがステレオ持ってたんですね。で、『プリーズ・プリーズ・ミー』を持ってたんです。その子に、聞かせてくれって言っても、お兄ちゃんが大切にしてるレコードだからダメだって。それじゃ、下で聞いてるからかけてくれって、2階のお兄ちゃんの部屋の窓をあけ放しにしてその子にレコードかけてもらって、ヴォリュームを一杯にして、ボクは窓の下で耳を、それこそ象みたいにして聞いてた。それが初めてビートルズのレコードを聞いた経験ですね。いつももう1回、もう1回って言って、彼女に嫌がられてた(笑)」

田家秀樹,「陽のあたる場所浜田省吾ストーリー」,角川文庫,平成2年6月10日初版発行,60頁

宮内商店(省吾さんいわく"Famous Yaoya store")跡地は、江田島図書館から少しだけ北寄りにありました。

今はこのも閉業していましたが、建物が相当古いので、当時の面影を残していると思われます。

八百屋のせっちゃんそっちのけで、ビートルズに夢中になる省吾少年の姿が目に浮かび、ほほえましくなってきました。


ザ・ビートルズ 1

浜田省吾は、決して時流に恵まれて誕生したミュージシャンではありませんでした。

裸一貫で広島から上京し、吉田拓郎をはじめとした先輩が成功する中、自身はヒット曲に恵まれず、商業主義的な音楽関係者からこきおろされ、やりたい曲とやらなければならない曲の中で板挟みになり、傷つきながら成長してきたのが浜田省吾です。

プロデビュー以来、泥水をすするような思いで這い上がったこられたのは、ひとえに音楽が好きだという情熱ゆえだったのでしょう。

もし彼が、江田島でビートルズのレコードに出会わなければ、浜田省吾というアーティストは生まれなかったかもしれません。

それを思うと、宮内商店は我々ファンにとっても、とりわけ大切な場所だと言えます。

江田島警察署(I am a father)

江田島はそこまで大きい島ではありませんが、ちゃんと警察署があります。交番ではなく、警察署です。

省吾少年の父親は、当時警察官でした。

剣道二段、柔道二段の腕前で、同じく子供の頃から剣道を始めた省吾少年にして「死ぬほど強い」と言わせるほどの超武闘派です。

2005年発売のアルバム「MY FIRST LOVE」に収録された曲の一説に、こんなものがあります。

TVニュース観るたびに
子供達が巻き込まれた事件
ドアの外すぐそこまで
近づいてること感じて眠れない
嘆いてる暇なんてない
命がけで守る
チャンピオンじゃない
リーダーでもない
妻と今日一日を
無事に過ごせたことを祈ってる
I am a father.

(中略)

かつて夢見る少年だったこのオレも
今では father.

浜田省吾,「I am a father」,MY FIRST LOVE,2005年7月6日,SME Records

省吾さんは、彼自身の父親の姿を思い出しながら「I am father」という曲を生み出しのかもしれませんね。

江田島図書館で見た記事によると、省吾さんはミュージシャンとして成長したあと、再び江田島を訪れており、その際江田島警察署に立ち寄って記念撮影したそうです。

「まるで我々(警察官)の心を代弁したかのような歌だ!」と好評だったとか。

初恋のきた島、江田島

省吾さんは江田島のことを、映画「初恋のきた道」にちなんで「初恋のきた島」と呼んだそうです。

先述した「MY FIRST LOVE」に収められた「初恋」という曲の中で、彼は次のように歌っています。

海辺の田舎町10歳の頃ラジオから
流れてきた"The Beatles"
一瞬で恋に落ちた
教室でも家にいても大声で歌ってた
"I wanna hold your hands"
"Please please me"
"Can't buy me love"

浜田省吾,「初恋」,MY FIRST LOVE,2005年7月6日,SME Records

「初恋」は、省吾さんのロックとの出会いから始まる、自伝的な楽曲であり「海辺の田舎町」とは、言うまでもなく江田島のことです。

省吾さんはよく、彼自身の物語を歌にします。"I wanna hold your hands", "Please please me", "Can't buy me love"。これらはビートルズの楽曲であり、当時の省吾少年が夢中になって聴いていた思い出の曲なのですね。


My First Love

彼にとって、思い出の曲はビートルズでしたが、私にとっての思い出の曲は浜田省吾でした。「MY FIRST LOVE」が発売された当時、私はまだ学生で、単三電池を4本も使うようなウォークマンにCDを入れて、何度も何度も繰り返し聞いていました。

当時はお金もなかったので、なけなしのお金をはたいてライブチケットを購入し、青春18きっぷを片手に、静岡から鈍行列車を乗り継いで、はるばる四国の松山までライブを見に行ったこともありました。

江田島を去り、岐路につく列車の中、瀬戸内の海を眺めながら、若い時分に思いをはせるのでした。


陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー (角川文庫)

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