今でこそ旅好きな私ですが、昔は空想好きな図書館の主でした。
この年になって、頻繁に旅に出るようになったのは、昔、冒険小説ばかり読んでいた影響なのかもしれません。
今回は、私が小学生の頃に影響を受けたと思う冒険作品を紹介することにします。
夏休みの読書感想文の題材にも向いているかもしれません。
目次
冒険への憧れは本から作られた
グリックの冒険(斎藤惇夫 著)
人間に飼われていたシマリスのグリックが、仲間が大勢住んでいる森の話を聞いて、どうしても行きたくなったので旅に出てしまうお話。
あまり知られていませんが、「ガンバの冒険」シリーズの第一作目です。ドブネズミのガンバは出演しますが、序盤のみの登場です。第一作目なのに、シリーズの主役が脇役という変わった作品です。
グリックとガンバとの出会いは、ガンバ一派とクマネズミとの戦いという、武闘派の抗争のようなきっかけでした。
ガンバ「クマネズミの野郎どもをぶっ潰すのに、お前さんが役に立つンだったら、仲間の森へと案内してやるよぉ~」
グリック「う、うん……」
のような話だったと思います。うろ覚えですいません。小学生の頃に読んだので。
結局、クマネズミとの戦いが終わった後、仲間の森へと案内してもらうグリックでしたが、そこはお目当ての森ではなく、動物園の中でした。とんだ案内違いですね、ガンバの親分。
せっかく森にたどり着いたた思っていたのにがっくり肩を落とすグリック君。そんなグリックに対して、動物園のリスたちは、しきりに「外の世界の話」をせがみます。
仕方がなく自分の知っている冒険の話をするグリックですが、言って聞かせる面白いネタがないため、ついついガンバから聞いた冒険の話をしてしまいます。
そしてこれが受けに大受け。
最初は遠慮がちにガンバのお話を語るグリックでしたが、何度も話を聞かせていくうちに、まるで自分自身が物語のヒーローになってしまったかのような錯覚に陥ります。
そして、旅立ちの日に抱いていた熱い冒険心を失いかけてしまいます。
そんなある日、群衆の中かあ響く声が。
「私はあなたの冒険の話がききたいの!」(うろ覚え)
この声の主(のんのん)は、外の世界に出ることを嫌う仲間たちによって、隅に追いやられてしまいますが、グリックの冒険心に再び火をつけました。
かくしてグリックとのんのんは、居心地の良い動物園から抜け出し、冬を間近に迎えた北の森への冒険に挑むのでした。
ここまでが「グリックの冒険」のあらすじです。
このお話の見どころは、何と言っても一度は冒険心を失いかけたグリックが、のんのんの呼びかけによって、再び旅に出る決意を固めたところにあります。
居心地の良い世界から出たくないと感じることは、人である以上当然のことであります。人間が社会を作り始めたのは、自分たちにとって居心地の良い空間を維持するためでした。
「グリックの冒険」の中で、動物園は人間社会の縮図です。定住と安定のため、集団の流儀にならう様子や、冒険をそそのかす異分子を排除する様は、まさに人の世を風刺したものでしょう。
これは現代の寓話です。ガンバの冒険も、英雄譚を見るようで面白いですが、私にはグリックの冒険のほうが胸に響きました。今も自分自身、旅に出る時には、動物園から脱出したグリックの姿が心に浮かびます。
宝島(ロバート・ルイス・スティーヴンソン 著)
主人公のホーキンズ少年が、元海賊の遺品から見つかった宝の地図をもとに、とある孤島に隠された宝を探しに行くという、海洋冒険小説の金字塔です。
船員を募って大航海に出るわけですが、島に着いて、当然のように反乱を起こされます。敵役の海賊の名前も「ジョン・シルバー」と、コテコテの海賊ネーミングです。今だと完全に海賊フラグですよね。
反乱を起こされて、二派にわかれて戦闘となるわけですが、大人ばかりか、ジム・ホーキンズ少年まで戦闘に加わります。木に登ったり、マスケット銃を撃ったり、大活躍です。
読んでいた当時は、子供ながらに「マスケット銃って当たると痛いんか?」とか思っていました。BB弾式のピストル銃に毛が生えた程度と想像していましたが、実際には火縄銃のようなものらしいです。まあ、死にますよね。当たり所が悪いと。
結末はよく覚えていませんが、冒険しながらドンパチしているところが面白かったので、純粋に冒険小説としては秀逸でした。
二年間の休暇(ジュール・ヴェルヌ 著)
ニュージーランドから旅立った船に乗った、15人の少年たちが、嵐で難破し、無人島でサバイバルするお話です。
邦題だと、「十五少年漂流記」のほうが有名かもしれませんね。上述の宝島とかぶる部分がありますが、有名な無人島ネタ第二弾です。
主人公ブリアンと、ライバルのドニファンだかドンファンだかを中心に物語が展開し、最終的には二人の和解によって、少年たちが結束して、故郷ニュージーランドへと二年ぶりの帰郷をします。
異なる個性と能力を持った15人が漂流したら?という展開で描かれた、人間活劇で、上の二人の派閥抗争は、最後まで読者をハラハラさせてくれます。
終盤には、ドニファンがブリアンに命を救われたことにより、「心の友よ!」状態となるのですが(私のドニファンに対する印象はジャイアンでした)、中盤までは険悪そのもので、お互い命の危機にありながらも足を引っ張りあいます。状況わかってるんでしょうか、この坊やたち。
ウミガメをひっくり返して斧で狩る場面は、子供ながらに強烈でした。亀って美味しいんでしょうか。スッポンのようなものだとよいのですが。
ゲド戦記(アーシュラ・K・ル=グウィン 著)
アースシーという世界を舞台に描いた、魔法使いたちの物語を得描いた4部作(5部作?)です。
私が読んだ時点では、4部の「帰還」までしか出ていなかったため、4部作だと思っていました。そのうち、5部の「アースシーの風)も読んでみたいです。
主人公は題名にある通り「ゲド」という男性ですが、部によっては、主役が行ったり来たりします。ゲドが本当の意味で主役なのは、一部の「影との戦い」でした。
アースシーの世界では、「真の名」(まことのな)という概念があり、ものごとの真理を司る名前があるとされています。真の名を知られてしまった者は、相手に対してなすすべもなく服従するという中二設定が、当時の小学生のハートをわしづかみにしていました。
ゲドの名は、彼が師匠から洗礼を受けたときにもらった名前で、普段は「ハイタカ」の異名で通っていました。
ハイタカことゲドは、幼少よりたぐいまれなる魔法の素養を示しており、世界でも有名な魔法学院に進学しますが、自らのおごりによって、死者の霊と「影」を呼び出す禁術に触れてしまいます。
このあたりは、旧約聖書のパンドラのお話と通じる部分がありますね。
「影」は、圧倒的な力を持って、執拗にゲドを追い続けます。物理的にゲドに負傷を負わせたり、ペットを殺したり、やりたい放題です。
最終的には、「影」が自らの生み出した負の部分であることを悟ったゲドによって、互いに真の名を呼ぶことによって、同化することとなりますが、少年の私にとっては、オシッコチビりそうになるほど怖かった、トラウマ文学でもあります。
アースシーと呼ばれる世界観も手伝って、船での移動が多いです。航海というよりは、箱庭の中を動いているような感覚でしたが、小さな方舟ひとつで、世界の果てまで旅するゲドの姿に、冒険者の後ろ姿を感じた小説でした。
三銃士(アレクサンドル・デュマ・ペール 著)
フランスの田舎貴族の青年ダルタニャンの出世物語です。三銃士とありますが、彼自身は三銃士の一員ではなく、三銃士と呼ばれる戦士たちとの交流と冒険を描いた物語です。
古典的な騎士たちのサーガかと思いきや、政治的な陰謀が跋扈したり、信仰心につけこんだ色仕掛けで、敬虔なる信徒が謀殺の道具にされたり、人妻に恋した結果が悲劇をもたらしたりと、およそ少年向けとは思えない人間模様を描いた作品でもあります。
どことなくガンダムに通じる部分がありますね。
主人公のダルタニャンですが、序盤ではただの頼りない貴族の青年で、突如現れた宿敵にこっぴどくやられた上、折られた剣を串焼き用のスティックにされたりと、散々な役回りを押し付けられます。
挙句の果てに、しょうもないいさかいから、王宮の精鋭中の精鋭である三銃士に喧嘩を吹っ掛け(あれはダルタニャンが悪いと思う)、三重に決闘の申しこみをしてしまうことになったりします。
その際吐いた有名な言葉が、次のような内容です。
ダルタニャン「もしものときのために、先に謝っておきたい。私が最初の決闘で負けて死んでしまったら、次に決闘を約束していたあなたと戦うことができたくなるからだ」(うろ覚え)
最初に喧嘩を売っておいて、言っていること無茶苦茶ですが、三銃士一同、この言葉に感心してしまい、その後の事件での活躍もあって、なし崩し的にダルタニャンを仲間と認めてしまいます。
これ以降のダルタニャンは成長著しく、冒頭で騎士ロシュフォールに敗れたヘタレぶりが嘘のように強くなっており、若造が実践で磨いた我流の剣技で、名門騎士を圧倒するという、ドラゴンボールのような展開が、見ていて痛快でした。
ダルタニャンの成長物語が主なストーリーですが、三銃士と呼ばれる面々も、タイトルに見合った、個性あふれる活躍を見せてくれます。
個人的には、ポルトスの見栄っ張りぶりが、当時の小学校の友人とそっくりであり、ダルタニャンが「この手のタイプは、見栄を折ってはいけない」と、したたかに分析していた場面が印象的でした。
ところでこの人たち、劇中ではチャンバラばかりしていましたが、銃は携帯していたのでしょうか、銃は。それでいいのか、三銃士。
あやうしズッコケ探検隊(那須正幹 著)
ズッコケ三人組と呼ばれる、小学生三人組の漂流サバイバルを描いた物語です。
上述の「二年間の休暇」のパロディーではないかと思うくらい、序盤の展開が酷似しています。むしろ、日本版十五少年漂流記(三人ですが)です。
若干こき下ろすように始めましたが、シリーズ全体の安定感も相まって、安心して読める児童向け冒険日記です。
シリーズ愛読者にはおなじみですが、運動神経と野菜の知識が光るハチベエに、本や図鑑で得た知識が強力なハカセ、釣りをはじめとしたサバイバル能力に長けるモーちゃんと、意外に隙がありません。
ユリ根っこがでんぷん質で食用だとか、この本を読んで初めて知りました。
他のズッコケシリーズと比べて、ややもすると非現実的な展開から始まるストーリーですが、等身大の子供たちが力を合わせて生き延びようとする様は、やはり少年たちの心を震わせるものがあります。
ズッコケ三人組シリーズのメインは学園ものなので、他のシリーズも併せて読むと面白いと思います。
私は、やんちゃで困る甥に本著をプレゼントしました。
かもめのジョナサン(リチャード・バック 著)
生きるためではなく、飛ぶことそのものに情熱を燃やす一匹のカモメの生涯を描いた物語です。
一匹のカモメの書きましたが、物語が中盤に差し掛かるにつれて、どんどん展開がファンタジックとなり、果てはあの世やこの世を行ったり来たりと、俗人の理解を超えたストーリー展開を見せてくれます。
これを読んだのが10歳そこらでしたが、今になって思うに、これって新約聖書のオマージュなんですよね。特に、使途と共にジョナサンが迫害されるシーンなんかは。
世の中は、食い物を奪い合ったり、誰かと争ったりするものじゃないんだ、ということが本書の主題ではありますが、読了当時の私には難解すぎました。
子供の頃に一度、大人になってから一度、ある意味二度美味しい文学だと言えるでしょう。
私は、出来の良い姪に本著をプレゼントしました。
ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦 著)
ジョースター家とディオ・ブランド―と呼ばれる吸血鬼との因縁を、壮大なスケールで描いた、今や世界中が知る大河アクションホラー漫画です。
ええ、漫画です。
これまでの流れをぶった切って恐縮ですが、冒険ものという観点では外せないので、ここで紹介させていただきます。
知らない方のために解説しますが、ジョジョの奇妙な冒険は、部単位で区切られた冒険活劇です。
吸血鬼ディオと、初代ジョジョであるジョナサン・ジョースターとの死闘を描いた1部から、ディオの末裔であるジョルノ・ジョバーナの活躍を描いた5部までが、無印のジョジョの部作です。
この時点で登場人物が多く、混乱する読者が出るかと思うので、今回はこの3部にスポットを当ててみましょう。
ジョジョ3部「スターダスト・クルセイダーズ」は、1部よりよみがえった、吸血鬼DIO(ディオと区別されます)の呪いで、昏睡状態になった母親を救うべく、主人公の承太郎が、はるかエジプトまでDIOをやっつけにいくという、王道冒険ストーリーです。
この作品の特徴ですが、とにかく乗り物が落ちます。冒頭で乗った飛行機の墜落は序の口で、そこから不時着した香港から乗った船は敵の罠で、最終的には大爆発してボートで漂流。
これはさすがにアカンと思い、陸路を進む一行でありましたが、インドの山奥で車両が崖から転落未遂。
中東ではセスナを調達するも、敵の攻撃に遭い、居眠り運転の末墜落。
その後、潜水艦まで持ち出すも、当たり前のように沈没するなど、枚挙にいとまがありません。
今日び、宝くじに当たるよりも確率が低いとされる飛行機事故でさえ、日常茶飯事的に起こることから、冒険漫画ではなく、もはやギャグ漫画の域であると感じたのは、私だけでしょうか。更には時折挟まれる独特なテンポのギャグ描写が芸術的です。
乗り物の下りはさておき、一行の日本からエジプトへの旅程が、逆シルクロードともいうべき壮大な道のりであり、クルセイダーズのサブタイトルも相まって、かつての十字軍遠征のような、クエスト的冒険心を、強くあおってくれます。
私は、本作品を読んだ直後、妙にインドに行きたくなりました。
実際は、陸路で行くのは非常に困難なので、飛行機を乗り継いで、要所要所を観光するとよいでしょう。現実的に、ここまで乗り物が落ちる確率は、天文学的を通り越して、奇跡的な確率でありますのでご安心を。
本を読むと旅に出たくなる
以上、冒険心をくすぐられる小説(一部漫画)の紹介でした。
子供の頃には絵空事であった旅が、今はこうして一人で行けることになるとは、当時少年であった私には想像もできないことでした。
大人になれば、一人でどこへでも行けます。
あなたも、次の世代に語り継げる、あなただけの冒険物語を探しに行ってみませんか?
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