マレーシアはマラッカ。
プラナカン文化の街として、世界遺産登録されていますが、アジア諸国らしく、幾多の侵略に見舞われた歴史があります。
ここで紹介するA Famosaは、マラッカの戦いの歴史を見せてくれる史跡です。
有名な観光地ですが、人はそれほど多くないので、マラッカを訪れるのならば、ぜひ一度見て回るとよいでしょう。
ア ファモーサ(A Famosa)はマラッカの戦いの史跡
交易都市として名をはせたマラッカですが、城塞都市としての面影もあります。
古くから、東西の貿易拠点として、重要な位置にあったことから、異国の侵攻にさらされ、いくどとなく異民族の支配を受けてきた歴史があります。
そのため、街を守るための軍事設備が発達しました。
今回紹介するのは、ここオランダ広場の裏手にある、ア ファモーサと呼ばれる城塞です。
「マラッカに行く」と、マレーシア人の同僚に伝えたところ「それならア ファモーサに行ってみるといい」と言われたので、有名なのは間違いないでしょう。
オランダ広場の裏から、階段が伸びており、どんどん山の上に登っていきます。
マラッカの街並みを一望できるでしょう。
印象としては、シンガポールのフォートカンニング公園のようでした。
小高い丘の上にある砦という点が、まさにそっくりです。
地理的に隣接していますので、セットで侵攻を受けることが多かったようで、シンガポールの博物館でも同じような歴史を垣間見ることができます。
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気温が高いので、てっぺんまで行くのに、骨が折れます。
それでもがんばって、丘の頂上付近に出ると、城塞跡地が見えてくるでしょう。
頂上の砦内部です。破壊のあとがところどころに見られます。
石造りの武骨な城壁を駆使して、外敵と戦っていたのですね。
今ではもう、戦士たちの代わりに、静寂こそが砦の主です。
街中でちらっと見かけた感じ、ア ファモーサは、古城という意味らしいです。
皮肉な話ですが、ア ファモーサを建造したのは、かつてのマラッカ王朝ではなく、マラッカを占領したポルトガルでした。
16世紀初、時は大航海時代の少し手前。
コショウの交易ポイントとして、早くからマラッカに目を付けたポルトガルが、艦隊を率いてこれを占領したとのことです。
その後、オランダへと支配が移り、イギリス領となったこともあります。
そして、今ではマレーシアの国旗がはためいています。
国破れて山河在り。
兵どもが夢のあと。
今ではすっかり静かな観光地です。
古今東西、どれだけ激しかった兵士の戦いも、必ずしじまの彼方へと忘れ去られていくものだなあ、と感じました。
マラッカの歴史を語るうえで、ア ファモーサを欠かすことはできない
マレーシア人の同僚にすすめられた、ア ファモーサですが、私としては大変興味深く散策できました。
訪れる土地ごとに歴史があるのは、誰もが承知しているはずですが、実際にその土地を訪れなければ、知るきっかけがないのが、土着の歴史というものです。
私が、旅先で博物館をめぐるのも、地球の歴史について、たくさんの好奇心を持っているからです。
海外の博物館めぐり、おススメですよ。
マラッカには、たくさんの歴史博物館がありますが、ほかにはマラッカ海洋博物館が見ごたえありました。
古城がマラッカの戦いの歴史を表すなら、海洋博物館は、交易都市としての歴史を見せてくれています。
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もちろん、堅苦しい歴史巡りだけでなく、華やかなプラナカン文化に、プラナカングルメと、純粋な観光資源も豊富です。
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