マレーシア

マラッカ観光には外せない、ア ファモーサ(A Famosa)に行ってきました。古城の面影がノスタルジック。

投稿日:2019/06/27 更新日:

マレーシアはマラッカ。

プラナカン文化の街として、世界遺産登録されていますが、アジア諸国らしく、幾多の侵略に見舞われた歴史があります。

ここで紹介するA Famosaは、マラッカの戦いの歴史を見せてくれる史跡です。

有名な観光地ですが、人はそれほど多くないので、マラッカを訪れるのならば、ぜひ一度見て回るとよいでしょう。

ア ファモーサ(A Famosa)はマラッカの戦いの史跡

交易都市として名をはせたマラッカですが、城塞都市としての面影もあります。

古くから、東西の貿易拠点として、重要な位置にあったことから、異国の侵攻にさらされ、いくどとなく異民族の支配を受けてきた歴史があります。

そのため、街を守るための軍事設備が発達しました。

今回紹介するのは、ここオランダ広場の裏手にある、ア ファモーサと呼ばれる城塞です。

「マラッカに行く」と、マレーシア人の同僚に伝えたところ「それならア ファモーサに行ってみるといい」と言われたので、有名なのは間違いないでしょう。

オランダ広場の裏から、階段が伸びており、どんどん山の上に登っていきます。

マラッカの街並みを一望できるでしょう。

印象としては、シンガポールのフォートカンニング公園のようでした。

小高い丘の上にある砦という点が、まさにそっくりです。

地理的に隣接していますので、セットで侵攻を受けることが多かったようで、シンガポールの博物館でも同じような歴史を垣間見ることができます。

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気温が高いので、てっぺんまで行くのに、骨が折れます。

それでもがんばって、丘の頂上付近に出ると、城塞跡地が見えてくるでしょう。

頂上の砦内部です。破壊のあとがところどころに見られます。

石造りの武骨な城壁を駆使して、外敵と戦っていたのですね。

今ではもう、戦士たちの代わりに、静寂こそが砦の主です。

街中でちらっと見かけた感じ、ア ファモーサは、古城という意味らしいです。

皮肉な話ですが、ア ファモーサを建造したのは、かつてのマラッカ王朝ではなく、マラッカを占領したポルトガルでした。

16世紀初、時は大航海時代の少し手前。

コショウの交易ポイントとして、早くからマラッカに目を付けたポルトガルが、艦隊を率いてこれを占領したとのことです。

その後、オランダへと支配が移り、イギリス領となったこともあります。

そして、今ではマレーシアの国旗がはためいています。

国破れて山河在り。

兵どもが夢のあと。

今ではすっかり静かな観光地です。

古今東西、どれだけ激しかった兵士の戦いも、必ずしじまの彼方へと忘れ去られていくものだなあ、と感じました。

マラッカの歴史を語るうえで、ア ファモーサを欠かすことはできない

マレーシア人の同僚にすすめられた、ア ファモーサですが、私としては大変興味深く散策できました。

訪れる土地ごとに歴史があるのは、誰もが承知しているはずですが、実際にその土地を訪れなければ、知るきっかけがないのが、土着の歴史というものです。

私が、旅先で博物館をめぐるのも、地球の歴史について、たくさんの好奇心を持っているからです。

海外の博物館めぐり、おススメですよ。

マラッカには、たくさんの歴史博物館がありますが、ほかにはマラッカ海洋博物館が見ごたえありました。

古城がマラッカの戦いの歴史を表すなら、海洋博物館は、交易都市としての歴史を見せてくれています。

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もちろん、堅苦しい歴史巡りだけでなく、華やかなプラナカン文化に、プラナカングルメと、純粋な観光資源も豊富です。

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